蔓の端々 乙川優三郎-藩という大木-

時代小説

『蔓の端々』は乙川作品のらしさが良く出た作品だと思います。

綺麗事ではいかぬ現実と、困難の淵に立たされた時の人間の強さや弱さ、葛藤がまさにらしさだと感じました。

スポンサーリンク

どんな小説家?

乙川優三郎 1953年東京生まれ。千葉県立国府台高校卒業、国内外のホテルに勤務。
1996年「藪燕」でオール讀物新人賞受賞、
1997年『霧の橋』で第7回時代小説大賞受賞。
1998年には『喜知次』が直木賞候補。
2001年『五年の梅』で第14回山本周五郎賞受賞。
2002年『生きる』で第127回直木賞受賞。
2004年『武家用心集』で第10回中山義秀文学賞受賞。
2013年『脊梁山脈』で第40回大佛次郎賞受賞。
2016年『太陽は気を失う』で第66回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2017年『ロゴスの市』で第23回島清恋愛文学賞受賞。

Wikipediaより

概要

互いに想い合いいずれは妻にと考えていた女子・八重と、道場の同輩であり親友の黒崎礼助が出奔した。親しい二人の裏切りにの背景には何があったのか?

藩という大木に絡みつく蔓の端々の生き様は苦悩と悲哀、そして覚悟に満ちていました。

小説の魅力

・蔓の端々が意味するもの

タイトルの蔓の端々が意味するところが本作のメインテーマとなります。

藩を大木に例えるならば、その幹が家老といった上士であり、蔓の端々とはその下に連なる下士に他ならないのでしょう。

本作の主人公・瓜生禎蔵も蔓の端々の一人です。

政治の主導権を巡っての抗争に巻き込まれ、その中で次第に雁字搦めになっていく姿は、やはり力なき武士の悲哀を感じずにはいられません。

結局、抗争に勝利した者であっても、剣を抜き戦った者が浮かびあがることはなく、家老が敵方であった勢力の重役を追い出し、おこぼれを預かるのは中立を保っていた奉行頭などのひとつ下の役職者たちであるのです。

藩の抗争に巻き込まれ、捨て駒として扱われる。しかし、その望みに縋るしかなき力なき下士たちの生き様を描いたのが本作なのでしょう。

・清々しさと空しさが混在するラスト

物語の冒頭、幼馴染で互いに想いあっていたはずの八重と、道場の同輩で親友の黒崎礼助が、二人で藩から逃げる事件が勃発します。

主人公の禎蔵からすれば、あまりに唐突な出来事で二人の裏切りに深く傷つき、憤ることになるのです。物語の最終盤で、八重と再会をし、黒崎礼助と果し合いを叩きつけることになるのですが、ここのラストがまさに意外な展開で驚かされました。

最終頁から一つ抜粋します。

(帰ったところでいいことなどないぞ、おのれの浮沈しか眼中にない、ちっぽけな人間が上にいるんだ、抗争や貧困がなくなるわけがない……)

この問いに対して

(しかし、まあ、国は国だからな……)

と答えるシーンで物語は幕を閉じます。

諦念、空しさとともにかすかにある清々しさ、物語一編を通しての答え、読者はどう思うのでしょうか。

自分は、あまりにも救いがないと思うと同時に、結局のところ幹を好かずとも、大木のことを捨てることもできぬ。そのような人間が蔓の端々として生きているのであり、現代もそう多くは変わりないのだと思いました。

そして、その中で自分の出来ることにだけ目を向け、精いっぱいに生きることが、蔓の端々としての強さでもあり、また弱さでもあるのだと……

まとめ

『蔓の端々』は乙川作品のなかでも、なかなか悲しい物語に入る気がします。物語に数多登場する蔓の端々たちの生き方にあなたは何を感じましたか??

コメント

タイトルとURLをコピーしました