悪の芽 貫井徳郎-加害者としての自覚-

小説

読書家のみなさんなら分かる人もいると思うのですが、

貫井徳郎の人間の内面を抉って差しだしてくる作品には間違いないですよね。

恐ろしさがあるからこそ興味深い作品でした。

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どんな小説家?

貫井徳郎 1968年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。93年、第4回鮎川哲也賞の最終候補作となった『慟哭』でデビュー。2010年、『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞、『後悔と真実の色』で第23回山本周五郎賞受賞。他の著書に『壁の男』『宿命と真実の炎』『罪と祈り』などがある。

概要

かつていじめられていた男が無差別大量殺人事件を起こした。

いじめのきっかけを作った安達は過去の罪を自覚し、己を問責する。

その他にも過去のいじめの当事者、事件の被害者の遺族、現場を撮影していた者など様々な人物から事件の背景が描き出される。

小説の魅力

・感情の消化

本書では多くの登場人物がいて、どこかで事件の影響を受けています。

色んな人が見せる様々な感情、特に人間のもつ負の部分をいかに消化するかに読み応えがありました。

読者によって各登場人物に対する感じ方も大きく異なってくるのではないでしょうか。

・加害者であることの自覚

本作品では、かつていじめていた男が大量殺人事件を起こしたことで過去の罪が可視化されました。

人間、差別や偏見から完全に脱することは出来ないし、被害者になった時の感応度は高くても、人を傷つけること(加害)は無意識に行ってしまうものです。

生きている過程で己が誰かの加害者たりえることを自覚していることはとても大事で、

第三者的な立ち位置から他人を裁くことの出来る人間は、根本でここの意識がない人がほとんどです。

自分がいつでも加害者になりえること、差別意識をどこかに持っていること、無意識にも他人を傷つけていることを自覚している人は、他人を裁くこと自体に大きな勇気がいることを知っています。

『悪の芽』では大きく”想像力”という言葉で形容されていましたが、上記の例はまさに”想像力”のひとつでしょう。

「インスタで炎上しないこと」「Twitterで喧嘩しないこと」「第三者を裁かないこと」

いずれも簡単なようで難しいことです。いつどこで誰かのアンテナに引っかかるかは分かりません。

被害者を自称することでSNS上では無敵になれますし、自分の声が多くの人の共感を集めれば自我は大きくなります。加害者としての自覚を持つことは案外難しいことなのかもしれません。

まとめ

貫井徳郎ファンにはまず間違いのない作品でしょう。

気力がいる作業ではあると思いますが、デビュー作『慟哭』から現在にあっても変わらずにこういう作品を書いてくれる先生に感謝です。

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