『驟り雨』は市井の生きるさまを描いた短編10作品から成る作品です。簡単に表すと、人情5:胸糞4:感動1で構成されたような作品です。
温かい話だなと思っていたら、信じられない極悪を見せつけられることもありますし、一方で救いの無い話の後には希望があります。すっかり物語に入り込み一喜一憂しながら読み進めている頃には最終話が近づいていることでしょう。感想はどうであれ、この小説で退屈することだけは無いと断言できます。
こういった構成がされた裏には、一人間としての「藤沢周平」と作家としての「藤沢周平」が存在しているからだと自分は思いました。
それでは、まず藤沢周平氏の作家としての経歴と彼の半生について見て行きましょう!
どんな作家?
1971年(昭和46年) – 「溟い海」で、第38回「オール讀物」新人賞受賞。
1973年(昭和48年) – 「暗殺の年輪」で、第69回直木賞受賞。
1986年(昭和61年) – 「白き瓶」で、第20回吉川英治文学賞受賞。
1989年(平成元年) – 「市塵」で、第40回芸術選奨文部大臣賞受賞。
1989年(平成元年) – 作家生活全体の功績に対して、第37回菊池寛賞受賞。
1994年(平成6年) – 朝日賞受賞。第10回東京都文化賞受賞。
1995年(平成7年) – 紫綬褒章受章。
1997年(平成9年) – 鶴岡市特別顕彰、山形県県民栄誉賞受賞
Wikipediaより
作家としての経歴だけを見れば、非常に輝かしいものですが、一方で彼の半生は決して楽な道ではありませんでした。
藤沢周平氏の妻は二十八歳で急死してしまい、この時期から小説を描くようになったとされています。この後、目の悪い母の介護と子育て、家事、編集長としての仕事、小説の執筆を同時に行っていた時期もあり、想像しがたいほどの多忙に追われていました。
また、彼自身もかつて教員を肺の病気で辞職していたこともあり、「病気」によって振り回された半生であったことが分かります。このような人生経験もあってか、初期の作品は救いがなく、鬱屈した作品が多いと言われています。
本作品においても、その頃の名残と言える作品が一つありますので注意してください...
おすすめしたい人
・清濁併せ吞むことが出来る人
正直いって胸糞悪い作品も結構ありますし、登場人物の男たちは碌な人間がいません。
その点を許容できる人であれば是非おすすめしたい作品です!
概要
・贈り物
・うしろ姿
・ちきしょう!
・驟り雨
・人殺し
・朝焼け
・遅いしあわせ
・運の尽き
・捨てた女
・泣かない女
『驟り雨』は以上、10編から成る短編集です。決して幸せといえない生活のなかで一つの幸福を見つける話もあれば、他人を救うために勇気を振り絞って立ち上がった男が彼らから石を投げられるといった救いの無い話まで幅広くあります。
小説の魅力
・土壇場で見せる人間の生き様
本書の登場人物たちは、明日はどうなっているか分からないギリギリの状態で生きている者が多いです。彼らが、土壇場で見せる生き様には必ずしも人道的なものではないし、碌でもない選択をすることも多々あります。しかし、だからこそ人道に帰り着いた話などは感動が大きいのです。清濁どちらも描いたからこそ成せる業ですね。
・人間はいつでも良心を取り戻せること
本書では、徹頭徹尾クズなまま生きていく男も多くいますが、いつかは良心を取り戻せるのではないかなと希望が持てます。それは何故かと問われば、10編のうちいくつかの作品では、昔は碌でもなかった男たちが良心を取り戻した姿で登場しているからです。クズな彼らの人生はまだ途中です。きっと人道に帰り着く機会があると思います。
一方で、だからといってこれまでの所業が許されるものではありません。犯した罪は償うことなどは出来ないのです。彼らの身勝手な所業によって受けた被害者の傷は計り知れないものであることは「ちきしょう!」を読んでくれればよく分かると思います。
人間はいつでも良心を取り戻してやり直すことが出来る⇔過去の罪を償うことは出来ない
不都合な話ではありますが、この希望と絶望が絶妙に描かれているからこそ、非常に胸打つものがあるのです。
まとめ
これまで書いてきた通り『驟り雨』は一筋縄ではいかない作品です。勧善懲悪とは程遠い作品ですし、一方で悪が跋扈しているのかと言われれば決してそうとはいえない作品です。
この何とも言えない人間の「真実味」を是非楽しんで欲しいです。きっと不快感を残す人も多くいるでしょう。しかし、その不快感の原因は私たちの中にも存在するものだからではないでしょうか?
救いの無い現実を生きてきた藤沢周平の半生と作家としての藤沢周平が共存した本作を是非お楽しみください。それでは!
コメント