世に棲む日日 司馬遼太郎-狂という生き方-

時代小説

幕末。
その目まぐるしく変わる情勢のなかで、常に中心となっていたのが長州藩であった。地理的にも規模的にも大大名とはいえぬ、その藩がなぜそのようになりえたのか?

それは、長州藩特有の”狂”にある。

『世に棲む日日』では、長州藩に”狂”をもたらし、それを引き継いだ二人の人物について描かれていく。吉田松陰と高杉晋作である。

彼らは己の行動をもって多くの者に影響を及ぼし、長州の未来を押し開き、やがては日本をも変えていったのである。

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どんな小説家?

司馬遼太郎(1923-1996)
『梟の城』(1959年)『竜馬がゆく』(1962年)『燃えよ剣』(1964年)『国盗り物語』(1965年)『坂の上の雲』(1968年)など数多くの代表作がある小説家。

現在においても、歴史小説の分野では最も有名であり、人気のある小説家ではないでしょうか。発行部数ランキングでいっても、司馬遼太郎氏はオールジャンルで見た場合でも抜きんでているといえるでしょう。言わずと知れた小説家の巨匠ですね。

概要

幕末期、「雄藩」といわれた長州藩には一人の思想家を生んだ。吉田松陰である。

松陰は、己の思想に基づき行動を起こし死んだ。
しかし、彼の残した松下村塾はやがて長州藩の核となる藩士を次々と生み出したのである。

その一人が、幕末を代表する革命家・高杉晋作である。
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」この男に絶望はなかった。幾多の死地を打開し、長州藩を開国倒幕へと推し進めていくのである。

常人では到底想像しえぬ大立ち回りを重ねた、彼の神がかりともいえる采のもとで、長州藩はついに明治維新の始まりを迎えていくのであった。

おすすめしたい人

・幕末初心者向けに
自分自身が幕末初心者であり、多くのことを知りません。そんな人でも楽しめるのが本書の魅力だと思います。

それは幕末だけではなく、長州藩というもの自体が面白いからです。

常人には露程も考え付かぬ行動をとる主人公、そして藩自体も彼らに引っ張られるようにドラマチックに動いていきます。勝つも負けるも華があるのです。

いったいどの思考を辿れば、一藩が列強四ヶ国と開戦に踏み込もうと考えるのでしょうか?それだけでもう愉快ですよね。

己に真っすぐに生きすぎた男たちの生き様は面白くないわけがありません。

・活劇が好きな人へ
全4巻の中で、前半が吉田松陰、後半が高杉晋作という風に書かれています。

吉田松陰についても、脱藩・密航をしようとしたりとかなりの”狂”を持ちますが、晋作の場合はより凄いです。

行動を起こすこと自体が目的と思わせるほどに、短い生涯のなかでひたすらに駆け回っていきます。

それでも、その行動が常に大局観を見据えてのものであったからこそ、晋作は稀代の革命家となりえたわけなのでしょう。

フィクション顔負けの怒涛の展開をみせる晋作は人生を舞台にした千両役者であったわけですね!

小説の魅力

・前半と後半(吉田松陰と高杉晋作)についてそれぞれの魅力があること


吉田松陰は学者肌であり、非常に知識に富んでいます。彼の人生のなかでも、様々な学問の師との出会いが大きな影響を与えていることが分かります。

しかし、そんな松陰の頭よって生み出されたの思想が”狂”という生き方なのですから、本当に面白いものです。

一方で、晋作。彼は上士の生まれで武士として生きています。彼の半生は行動を起こしたいと望みながらも、なかなか始まりを迎えることが出来ません。

そんな半生があったこそ、彼の走り出した人生をよりドラマチックにしているのかもしれません。

・”狂”という生き方の愉快さ
一方で、松陰と晋作ふたりに共通していえることは”狂”という生き方でしょう。

彼は人から見れば些細なことで、脱藩・逐電をあっさりとしてのけます。
これがまた、人から見れば重大なことであるから面白いものです。

自分の信条を尊んで動くときに他人の物差しなどは無用である。
彼らには言葉にするまでもなく当たり前のことかもしれません。

いつの時代も我々多くの凡人たちが”狂”を殺して生きるからこそ彼らの生きる痛快さが、より増すのでしょう。

まとめ

長州藩がなぜ雄藩となりえたのか、『世に棲む日日』を読み終えた時にはその訳がよく分かることでしょう。

吉田松陰が示した”狂”という生き様は多くの人間に訓戒を与え、長州藩ひいては日本を変える起爆剤になります。

そして、「おもしろき こともなき世を おもしろく」という稀代の革命家によって夢物語は現実のものへと変わっていきます。

司馬遼太郎の描く名作、是非一度読んでみてはいかがでしょうか。

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