『赤ひげ診療譚』は山本周五郎によって1959年に書かれた作品であり、1964年に新潮文庫で第一版が発行されてから2017年までに105刷されている不朽の名作です。
いつの時代に置いても「ままならぬ」日々を生きている庶民であれば、胸打たれずにはいられない傑作です。人間の普遍的な部分を描いた作品ですから、現在も未来もこの作品に心打たれる人は多いのではないかと思います。
どんな小説家?
山本周五郎(1903-1967)
昭和を代表する小説家で、主な著作に『赤ひげ診療譚』『さぶ』『樅ノ木は残った』などがあります。卓越した心理描写が特徴的であり、また文学賞については全て辞退したことで有名です。
なぜ文学賞を一切受賞しなかったかといえば、「読者から寄せられる好評以外に、いかなる文学賞のありえようはずがない」といった信念があったからです。読者こそが全て、物書きであれば当然のことかもしれませんが、著者の作品を読んだ読者であればその言葉がどれほどのものかが身に染みてわかるでしょう。
ということで、本書『赤ひげ診療譚』の概要へと移りましょう!
概要
長崎遊学から帰ってきた保本登は、医師と名を馳せようと大願を抱いていた。しかし、江戸に帰ってきた登を待ち受けていたのは二つの事件だった。婚約を決めていた女が別の男との婚約を決めて、破談になったのだ。さらに、追い打ちをかけるように幕府の御番医になるものとばかりに思っていた登に養生所への勤務が命じられる。
養生所とは金銭がなく医者にかかることに出来ないもののために設置された病院であり、報酬は少なく、医者としての名誉とはかけ離れたものであった。
余りの仕打ちに不平を隠すことの出来ない登であったが、赤ひげとの交わりや患者たちの診察を続けていくうちに心境に変化が訪れていく。
「養生所こそ真の医師が必要である」そう思うようになった登は己の医師としての生き方を考えるようになっていく。
おすすめしたい人
・ままならぬ日々を生きている全ての庶民
「読者こそ全てである」、周五郎の信念がしかと感じられる作品です。生きることの難しさ、人間の美しさから醜悪さまで余すことなく描ききった傑作です。特に、赤ひげこと新出去定の言葉にはどこまでも愛があります。
小説の魅力
・人間の美しさから醜悪さまでを描き切った筆力
本書はこれに尽きると思います。
まずは、人間の醜悪さについて。
赤ひげは自分のことを「おれは盗みも知っている、売女に溺れたこともあるし、師を裏切り、友を売ったこともある、おれは泥にまみれ、傷だらけの人間だ、だから泥棒や売女や卑怯者の気持ちがよくわかる」と評しています。
赤ひげは、悪事に手を染める人間に対して「彼らもまた人間だ」と認め、世間からあぶれ者として指さされる人々に対しても「貧困と無知に苦しんでいる者たちのほうにこそ人間のもっともらしさを感じ、未来の希望がもてるように思える」という発言をしています。
これは綺麗ごとではなく、彼自身が己の矮小さを自覚しているからこそ出る発言です。彼らと自分が同じ存在だと知っている時、人は簡単に他人を批判することなど出来なくなります。
ある意味、これには共感できないほうが「幸せ」に暮らせるのかもしれません。しかし、自分には「おれは盗みを知っている」から始まる赤ひげの台詞より心打たれる言葉はありませんでした。本当に赤ひげの言葉が痛いほどよく分かります。
次は一家心中を計った際に登に助けられた者の言葉です。
「生きて苦労するのは見ていられても、死ぬことは放っておけないのでしょうか」「もしあたしたちが助かったとして、そのあとはどうなるんでしょう、これまでのような苦労が、いくらかでも軽くなるんでしょうか、そういう望みが少しでもあったんでしょうか」
あまりにも救いがない言葉ですが、しかしどうでしょう。このような人たちがいつの時代でもどこの国においても未だかつて無くなったことがなどないですよね。小説という虚構のなかで紛れもない真実を描いています。彼らからこのような言葉が出た時に反論する術をもつ人などのいるのでしょうか?
次に人間の美しさについてです。
本書の大きなストーリーとしては、登の成長譚でもあり、始まりと終わりでは一回り登が成長していることが分かると思います。
医者としての技量が変わらずとも、開幕の登よりも、養生所で時間を過ごした後の登に診てもらいたいと自分は思います。
また、心苦しいエピソードがあるのは、その中で懸命に生きている人達がいるからです。家族を助けるために盗みを働く子供、己の稼ぎを全て長屋で住む人々のために使う者、彼らのままならぬ生活のなかに生じる愛は醜さの分だけ美しく輝いて見えるのです。
まとめ
『赤ひげ診療譚』は医療を通じて、ままならぬ日々を生きる人間の内なる部分を映してくれる名作です。1959年に描かれた作品ですが、普遍的な人間性を主題に置いた作品であり、現在だけでなくこれから50年先、100年先、いつの時代に読まれても人々の心を打つ作品であり続けることでしょう。
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