細川玉子(洗礼名ガラシャ)は37歳でその生涯を終えました。容姿端麗で頭脳明晰な玉子は多くの人から愛されますが、織田信長に謀反を起こした明智光秀の娘であったことから多くの不幸にも見舞われます。
家族のほぼ全てを戦によって失い、最後は自身も戦によって果てた玉子の壮絶な人生を、キリシタン作家として著名な三浦綾子氏が描いた作品になります。
どんな小説家?
三浦綾子(1922-1999)
旭川生れ。17歳で小学校教員となったが、敗戦後に退職。間もなく肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間の闘病生活。病床でキリスト教に目覚め、1952(昭和27)年受洗。’64年、朝日新聞の一千万円懸賞小説に『氷点』が入選、以後、旭川を拠点に作家活動。主な作品に、『塩狩峠』『道ありき』『天北原野』『銃口』など。’98年(平成10)年、旭川に三浦綾子記念文学館が開館。
『細川ガラシャ夫人』著者紹介文より
小学校教員として勤めたものの、敗戦によって今までの教育は悪とされたこと。とりわけ、黒塗りされた教科書を見て、教員を退職したそうです。教育者として、自分のしてきたことは何だったのか、よって立つべきものが分からなくなったゆえの退職でした。
その後、長い闘病生活のなかでキリスト教に受洗しました。著者の代表作である『氷点』は粉うことなき傑作です。人間の弱さ、業の深さ、そして愛を描いた作品です。
著者自身が教員としての挫折、長い闘病を経てから書き上げた作品にはどれも共通した問いがあります。もし、いま「人らしく」生きることの難しさを感じる人がいるならば、そんな人のためにある小説家ではいかと思います。
概要
明智光秀の娘として生まれた玉子は母譲りの麗しい容姿と父譲りの賢い頭脳を持ち、順風満帆に育っていきました。16歳になり縁組することになった玉子の嫁ぎ先は父・光秀のよき友である細川藤孝の嫡子・細川忠興でした。
気性の激しい忠興は、その性格のまま美しい玉子を強く愛します。ある時が来るまではお姫様として何不自由なく生きていく玉子でしたが、一つの事件が玉子の人生を悲劇へと向かわせます。
本能寺の変、父・明智光秀は主君である織田信長を討った歴史に残る大事件です。この日を境に、玉子は山崎の戦い、羽柴秀吉の台頭、天下統一、伴天連追放令、羽柴秀吉の死、徳川家康と石田三成の対立とあらゆる政争に翻弄されていくこととなります。
その中で細川玉子はいかにして生き、なにゆえ受洗したのか。そして、何よりも多くの武将の奥方が逃げ延びるなか一人死すことを選択したのか。
戦国の世において、政治の道具として利用される武将の娘たち。そんななかで一人の人間として生きようとした女性の物語となっています。
おすすめしたい人
・戦国武将に興味のない人へ
本書は男の描く歴史小説とも、戦国武将がもとより好きで歴史小説を描いた人の作品とは毛色が異なります。
本作は歴史小説でありながら、とりわけ生きることの苦悩に重点が置かれています。
戦国時代の切り取り方が、実力によって成り上がることの出来る時代、数ある戦国武将がしのぎを削って天下を夢見た時代という切り口でないのです。
戦国時代とは、どんな人間もいつ命を落とすか分からない時代であり、天下人が目まぐるしく移り変わる時代。とりわけ出自のいい女は政争の道具として扱われる時代。そういった切り取り方なのです。
ですから、従来描かれる歴史ロマン的な戦国物語からすれば、異色な作品にも映ります。しかし、だからこそ従来の戦国作品では好きになれなかった読者にも好まれる可能性があるのではないでしょうか。
小説の魅力
・どのようにすれば、人らしく生きることが出来るのか
著者の「どのようにすれば、人らしく生きることが出来るのか」という普遍的な問いは本書でも見られます。とりわけ、女性にとっては今よりもずっとずっと自由の無い時代ですから、明晰な頭脳と一歩先んじた教育を受けてきた玉子には幼少期から不可思議なことがたくさんあります。
自分の頭で考えることを知っている玉子が、本能寺の変をはじめ多くの悲劇を体験したとき、自分の幸福感が大きく変わっていくことになります。
栄枯盛衰の激しい時代にあって、玉子は何を求めて受洗することになったのか?
その答えが本書を通して綴られています。
・愛することとは
夫である忠興は玉子を強く愛していますが、彼は玉子の容姿を愛でていたにすぎないのでしょうか?彼は、玉子に異常ともいえる束縛をし続けます。
一方で、初之助。彼は、一介の足軽にすぎませんから玉子と結ばれることは叶いません。また、玉子からも頼りにはされど基本的には頭の片隅にも彼の存在はありません。それでも、玉子に仕えていた彼は陰ながら支え続け、最期をともにすることになります。
初之助もまた、玉子の麗しい容姿に惹かれている一人の男であることは間違いないのですが、彼と忠興の愛では何かが違うような気がしています。それは、身分が違うから、はたまた片思いに過ぎないからなのかもしれません。
玉子をひときわ愛した二人の男。彼らの愛について着目して読んでみても面白いと思います。
・自分の中でよって立つべき所のある人間の強さ
信仰があってもなくても自分の中でよって立つべき所のある人間は強いのだと感じます。
領土、位、出世などそういう外的要因に自分の足場を築いているものは、上昇局面では非常に強いですが、下降局面では自身の価値観の厳しさを感じていくことになります。
玉子の辿り着いた「苦しむことも恩寵」であるといういわば究極的な考えに行きつくことは容易ではありません。しかし、自分の内なるもののなかでよって立つべきところを持てる人間は戦国時代でも現代においても、強く生き抜くことが出来るのだと感じることでしょう。
まとめ
『細川ガラシャ夫人』は三浦綾子氏の初めての歴史小説ですが、従来の「出世と戦場」を描いた戦国時代とは正反対の作品になっています。
著者だからこそ描くことのできる世界は、歴史小説にあって異質でありながらも変わらず読者の胸に訴えかけるものがあります。
玉子の人生は幸福だったのか、不幸だったのか、何をもって計るかにより大きく見解が別れるのではないでしょうか?そして、そこに正しいも間違いもないのだと思います。
私自身はとても幸福な人生であったのではないかと思いましたが、みなさんは本書を読み終えてどう思うのでしょうか?
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